黄檗宗について
obaku sect
禅宗 <黄檗宗>
達磨大師を開祖とする禅宗は、坐禅や日常生活の中で自分を見つめ見性成仏へと導く教えです。
禅宗は曹洞、臨済、黄檗と三つの宗派からなっています。
当初、黄檗宗は「臨済宗黄檗派」と称していましたが明治9年、臨済宗から一宗として独立し「黄檗宗」を公称するようになりました。
中国では、臨済宗に含まれていますが、日本の臨済宗とは中国式という点で異なったため、独立して一宗派を成すに至ったのがその経緯です。
宗祖 隠元禅師
禅師は、中国明代末期の臨済宗を代表する費隠通容禅師の法を受け継ぎ、臨済正伝32世となられた高僧です。
中国福建省福州府の黄檗山万福寺(古黄檗)の住持でした。
度重なる日本からの招請に応じられ、承応3年(1654年)63歳のとき、弟子20人他を伴って来朝されました。
後に禅師の弟子となる妙心寺住持の龍渓禅師や後水尾法皇そして徳川幕府の崇敬を得て、宇治大和田に約9万坪の寺領を賜り、寛文元年(1661年)黄檗山万福寺を創建し、普山されました。
禅師の道風は大いに隆盛を極め、道俗を超えて多くの帰依者を得られました。
禅師は「弘戒法儀」を著し、「黄檗清規」を刊行して業林の規則を一変させるなど、日本の停滞していた禅宗の隆興に偉大な功績を残されたことにより、日本禅宗中興の祖師とされています。
また、禅師の来日と万福寺の開創により、さまざまな中国文化が日本にもたらされました。
隠元の名に由来するインゲンマメの他、木魚、孟宗竹、スイカ、レンコンなどがあります。
普茶料理
普茶料理(ふちゃりょうり)は、宗祖隠元禅師が中国から伝えた精進料理です。
「普茶」とは「あまねく大衆と茶を共にする」という意味を示すところから生まれた言葉です。
席に上下の隔たりなく一卓四人が座して、和気相合のうちに料理を残さず食するのが、普茶の作法です。
普茶料理はめいめい別盛りにはせず、皿に何人分かを盛り込み、食卓で料理を取り分けます。精進料理と言えども、「もてなし」の要素が強く、肉や鰻を模した料理や食感を巧みに計算し、強い味や油を用いたり、 生麩の扱いに長けている点が特徴的です。
円城寺でも平成5年、私の普山式の時、平成9年、平成22年の三回普茶料理を開催しました。
また機会があれば開催したいと思っています。
普茶菜単(サイタン=献立)
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笋羹(シュンカン)
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油磁(ユジ)
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麻腐(マフ)
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浸菜(シンツァイ)
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焼物(シュンウ)
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雲片(ウンペン)
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飯子(ハンツ)
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漬物(チンウ)
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素汁(ソジュ)
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水果(スイゴ)
梵唄(ボンバイ)
法式やお経など、すべて中国で行われていたものを、黄檗宗では忠実に継承しています。特にお経の中に梵唄と呼ばれるものがあります。
これは字にも表されているとおり、歌のようなお経です。
声明などとはまた違い、4拍子を基本とするリズムを刻みながら、節の付いたお経を読んでいくとても音楽的なお経です。
法要では、色々な鏡、太鼓、木魚、鉢、銅鑼などが使われ、多くの僧が読経している中で合わさるとオーケストラさながらです。
円城寺では11月に行う施餓鬼の時に聞かれます。